代表よりご挨拶

  • 「美しく伝える」
  • 株式会社高山は、小さな印刷会社です。
  • 1946年、戦後間もなく東京は神田で商売を始めました。
  • 界隈に建物はまばらで、かろうじて残っていた所へ通いました。
  • 訪ねていった先は官庁でした。
  • 何度も通っているうちに、門扉の横にある守衛所におられた方が声をかけてくださり、
  • 「中に入って用度係りに行ってみなさい」と、教えてくれたそうです。
  • 「印刷ができますとだけ言うのが精一杯。
  • ところが、お一人が席から立ち上がり、「明日までにできるか」と手書きの原稿を手に目の前に立ってくれました。
  • 「できます!!」
  • 夜を徹して仕上げました。ガリ版刷りです。朝一番に風呂敷に包み、お届けしました。
  • うれしくてうれしくて、役所の廊下を走り出しそうになったそうです。
  • 毎日毎日納めては、次の仕事を頂けました。
  • 私が父から幾度となく聞かせてもらった、
  • 大切な思い出と感謝が込められた創業時の話です。
  • それから今日まで、印刷会社の看板を掲げて参りました。
  • 戦後の印刷屋は相当に幸せでした。仕事はいつも、あるものでした。
  • 昭和、平成、そして令和。
  • 高度成長が終わりを告げると、印刷会社も無論のこと、テクノロジーの進歩とマーケットの変化に否応もなく取り込まれました。
  • この先も会社を継続させるために、もはや紙にインキをのせるだけでは生き残ることはできず、他に何をしていくのかを考える時代になりました。
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  • 社員は全員、当たり前に「印刷会社に勤めたと思っています。
  • 私はこのままでは立ち行かなくなる、その時に入社しました。
  • 印刷の事については、全社員が先輩。私が一番後ろについている新入りです。
  • 覚悟を決めて来たとはいえ、右往左往の日々でした。
  • それから15年。いろいろな事があり、次から次に困難に遭遇しました。
  • 天を仰ぎ、途方に暮れる。そして、暮れてばかりではいられない。
  • 繰り返しそう思いつつ、今日に至ります。
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  • 弊社の会社案内は、100ページ。重くて邪魔になりそうで、お渡しする時に申し訳ない気持ちになります。それでも製作しました。
  • 誠に恐縮ながら、これは弊社グループで働き続けてくれる社員とその家族の方々に、
  • 日々の活躍を伝えたいというささやかな願いがあるからでした。
  • その上で、お渡しが叶うお客様には、ありのままの弊社をお伝えできると考えました。
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  • 2020年、明けて間もなくから新型の感染症が拡がり、瞬く間に世界中の経済活動が大きく制限され、人々の日常が変容してしまいました。
  • そのような状況の下で、弊社内では未来に向かうためのチャレンジが一気に始動しました。
  • 数ある印刷会社の中から弊社をお選び頂ける幸運を願い、本分である印刷の仕事はもとより身の丈に合ったSDGsに関われるよう、
  • 従前からの野菜生産·食品販売·紙製品製造販売に続き、WEB事業の展開を目指し精進して参ります。
  • 結ぶにあたり

「美しく伝える」

  • この言葉にはお納めする全てに、心をこめて努めて参りたいとの思いがございます。
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  • 商売繁盛の神様のおひざもと、神田明神下の株式会社高山は、御社益々のご発展を社員一同と共に、一心にお祈り申し上げます。
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  • つたないメッセージを最後まで読み進めて頂き、本当にありがとうございました。
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  • 令和4年 3月 吉日
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  • 株式会社 高山
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  • 高山 薫